シネラリア (cineraria)。
2004年12月27日 花想。 わたしの名前を呼んでくれる人なんて
どこにも居ないと思ってた。
だからこそ、あの日突然に現れた光りに驚いて
今もまだ戸惑って
触れるどころか、直視することすら困難で。
どうやったらあの光りの名前を呼ぶことができるだろう。
どこにも居ないと思ってた。
だからこそ、あの日突然に現れた光りに驚いて
今もまだ戸惑って
触れるどころか、直視することすら困難で。
どうやったらあの光りの名前を呼ぶことができるだろう。
クリスマスローズ (Christmas rose)。
2004年12月26日 花想。 掌に眠る過去の背を 優しさで暖めて
移り変わる情景に心を求めないで
あの時から何一つ変わっていないと
そうわたしに教えててよ。
移り変わる情景に心を求めないで
あの時から何一つ変わっていないと
そうわたしに教えててよ。
もしもまた 生まれ変われるなら
ボクはボクでいたいと思う
いびつな生き方を 選んでいても
キミに会える運命を
神様に もらえるならね
elliott/ひまわり
ボクはボクでいたいと思う
いびつな生き方を 選んでいても
キミに会える運命を
神様に もらえるならね
elliott/ひまわり
12月26日の「数式」のこと。
これはよく考えることで。
いつもいつもループして仕方のないことなのですが。
絶対、とか確実、とかそういうのが有り得るかどうかを考えたりするんです。
どんなに同じ環境で二人の子供を赤ん坊の時から育てても、
その二人は同じようには育たないし。
スケールを小さくして、どんなに単純なことをやっても
1パーセントの可能性があるということは捨て切れなくて。
そんなのキリがないのは分かってるんですが。
逆を言えば、その1パーセントの確率は「絶対にある」とも言えるわけですが。
ほんとうにキリがない。
けど、そんなことを考えるのは楽しいです。そんなこと考えてばっかです。
これはよく考えることで。
いつもいつもループして仕方のないことなのですが。
絶対、とか確実、とかそういうのが有り得るかどうかを考えたりするんです。
どんなに同じ環境で二人の子供を赤ん坊の時から育てても、
その二人は同じようには育たないし。
スケールを小さくして、どんなに単純なことをやっても
1パーセントの可能性があるということは捨て切れなくて。
そんなのキリがないのは分かってるんですが。
逆を言えば、その1パーセントの確率は「絶対にある」とも言えるわけですが。
ほんとうにキリがない。
けど、そんなことを考えるのは楽しいです。そんなこと考えてばっかです。
?ほんとう?ということは酷く曖昧で、
1+1くらいしか、確かなものはない気がして。
でもその1+1さえも時々不確かなものに思えるのだから、
?ほんとう?など、在り得るのだろうか。
1+1くらいしか、確かなものはない気がして。
でもその1+1さえも時々不確かなものに思えるのだから、
?ほんとう?など、在り得るのだろうか。